明石城 越前松平左兵衛督家8万石の城です。8万石ですが、10万石格が認められていたようです。映画「十三人の刺客」で討たれる側の殿様が明石藩主でした。 それはそれとして、明石城は駅のホームからも2つの櫓が横に連なる姿が美しく、好きな城の一つです。日本100名城No.58。 |
安芸城(安芸土居) 土佐藩山内家の家老・五藤家が代々預かった城です。戦国時代までは安芸氏の居城でしたが、関ヶ原の戦後に山内一豊が土佐入国した際に五藤家に預けられました。土居部分は五藤家が整備したものです。 城と周辺が土居廓中(どいかちゅう)と呼ばれる武家屋敷町割になっており、現在もその名残りが見られます。 |
秋月城(杉本城) 筑前国秋月、黒田甲斐守5万石の陣屋です。秋月藩は福岡藩の支藩で、黒田長政の3男に分与されました。 もともと秋月は戦国時代は秋月氏が領しており、大友宗麟と争っていましたが、秀吉の九州征伐で敗れ、秋月氏は日向国高鍋へ移されました。この時に秋月城は廃城となったのですが、黒田家の秋月藩立藩で陣屋として復活しました。現在は小学校となっていますが、石垣や濠、門が見られます。 |
赤穂城 「忠臣蔵」で有名な浅野内匠頭の城です。この浅野家は広島の浅野家の分家筋です。小藩の割に立派な城で、赤穂藩が特産の「塩」で財政が豊かだったと思われます。現在も整備が進められており、また行ってみたい城です。日本100名城No.60。 |
足利氏館 室町幕府の将軍家である足利氏の館。足利氏は清和源氏の庶流で、栃木県足利に地盤を持っていました。近くに日本最初の学校と言われる「足利学校」もありこちらも必見です。 日本100名城No.15。 |
足守陣屋 備中国足守、木下淡路守家2万5千石の陣屋です。木下家は、秀吉の妻・北政所(ねね)の実兄である杉原家定に始まり、木下の姓と豊臣家の家紋・五七桐紋の使用が認められました。関ヶ原の時に北政所(当時は既に出家し高台院)を警護した功で足守に領地を安堵されました。因みに関ヶ原の裏切り者として悪名高い小早川秀秋は木下家定の息子で、関ヶ原後に大加増で足守のすぐそばの岡山城主となりました。陣屋のすぐ隣に藩主の庭園である近水園(おみずえん)があり、こちらも必見です。 |
安土城 言わずと知れた織田信長の天下布武の象徴です。石畳の階段を登って行くのですが、よく見ると階段の敷石の中にお地蔵様があったりして驚かされます。近くに博物館があり、そこでは天守閣の最上階の実物大の再現したものが見られます。日本100名城NO.51。 |
尼崎城(琴浦城) 桜井松平遠江守4万6千石の城です。尼崎は幕府にとって、大阪城の西の守りという意味で重要な拠点でした現在は石垣が少しばかり復元されています。すぐ近くの桜井神社に天守の瓦が残っています。 |
天城陣屋 備前国天城、岡山藩家老・池田出羽守家の陣屋です。天城池田家は元々、岡山藩主・池田家の藩祖・池田輝政の兄・池田元助の息子に始まる家柄で、藩主家を支える一族として下津井城などの城代を務めてきました。一国一城令で下津井城が廃城となると、天城に領地を与えられ天城池田家として岡山藩の家老を務めました。 天城は現在の倉敷市藤戸町にあり、陣屋跡は高校のグラウンドとなっています。小高い丘の上にあり往時を偲ばせるものがありますが、遺構はほとんどなく、近隣の寺院に移築された陣屋門が見られます。 |